みことば企画㈱ 嘉﨑 隆二

長年印刷会社に勤める中で、神様への感謝を表すことはできないかと考え、2000年に日めくり聖句カレンダーを企画し、2007年に株式会社を立ち上げました。幾度となく製作が危ぶまれることがありましたが、長年愛用してくださっている方からの励まし、何より神様からの祝福に支えられ、まもなく四半世紀が経とうとしています。常に神様の御声に耳を傾けながら歩む者でありたいと思います。(2024年初秋)

<2024年の証>


 「日めくり聖句カレンダー」の制作を続けてあっという間に四半世紀が経とうとしています。このように長く皆様に愛されて制作を続けられるとは思ってもみませんでした。 

 思い返せば、このカレンダーを通して多くの苦難や試練がありました。 

 製作初年度は、カレンダーのことを知られていないため、ほとんど売れず、ついには数百冊の在庫を車に乗せて行商して回ったところ、そのあまりの重たさに車の前が浮いてしまい、夜には対向車からパッシングを受けるなど、散々な思いをしました。とにかく売ること だけを考えて車に飛び乗ったため、泊まるところも見つからず、今でも山陰に行くと当時のことが思い出され、涙が流れてきます。 

 軌道に乗り掛かった頃、今度は、日めくり聖句カレンダーの制作を担い、私自身も勤める 印刷会社から、このままカレンダーを作り続けるのであれば会社を辞めて欲しい、と事実上 リストラを宣告されました。苦渋の決断を迫られ、ついにカレンダーを作るために会社を辞めました。その時、細々とでもいいからカレンダーの制作を続けさせて欲しいと神様に祈ったものです。しかし、カレンダーの制作ができないように、妨害を受け、いばらの道を歩むことになりました。

 このような度重なる試練の中で、神様の僕として働かせていただくにはどのようにすればいいのか、神様の言葉を届ける方法は他にないのだろうか、と事あるごとに切に祈り続けま した。「主により頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」(エフェソ 6-10)という御言葉を与えられました。 制作当初の苦しんでいた時期には、教会の青年会のメンバーたちが、カレンダーを用いてくれる教会を探してくれました。また、ハンセン病のため全盲になられた津島久雄先生 (久光明園家族教会)にお目に掛かったときには、先生がカレンダーを手に取り、「嘉崎さん、あなたの行いは、御言葉を蒔く働きです。怯んじゃいけませんよ」と励まされ、この言葉は 今でも背中を押してくれています。会社を辞めてカレンダーの制作が危ぶまれたときには、 愛用者のお二人が必死に制作会社を見つけてくださり、今でもその会社に制作していただいています。 

 こうして、本当に多くの先生方や信徒の方々との交わりの中に神様がいてくださって、その憐れみと多くの人たちのお力添えのお陰で、幾多の困難を乗り越えることが出来ました。 おかげさまで、南は宮古島から北は北海道まで、さらには国を越えて韓国、ハワイ、アメリカ本土と海外にも渡り、数千人の人達が待ち望んでくれています。あと何年作り続けられるかは分かりません。しかし、カレンダーを待ってくださる方の思いと祈りが私を奮い立たせてくれています。感謝 


<2020年の証>

 2020年9月中旬のある朝、1枚の紙が書斎の床に落ちていました。何だろうと拾い上げ見たところ、背筋の凍る思いがしました。その紙は今から8年前、2012年6月10日の日めくり聖句カレンダーの原稿でした。「わたしは天から耳を傾け 罪を赦し 彼らの大地をいやす。」(歴代誌下7章14節後半)この聖句はなんと、来年用の「2021年日めくり聖句カレンダー」に綴じている挨拶文の冒頭で引用した聖書箇所の一部だったのです。

 これまでに作成したカレンダーの原稿は、すべて倉庫に保管しています。8年も前の原稿が、それも挨拶文で掲載した聖句と同じ箇所の1枚だけ落ちていたこと、これは神様が私に何かをお示しになっておられるのだと確信しました。ある著名な先生から「主の下では偶然はありません。全て必然です」と言われた言葉が、いつも胸に響いております。

 「・・・わたしがいなごに大地を食い荒らすよう命じるとき、あるいはわたしの民に疫病を送り込むとき、もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。」(歴代誌下7章13~14節)

 この度の新型コロナウイルスもいなごも神様がなさったことが明確です。神様の前にひざまずいて祈り、自分の罪を悔い改めて罪を赦していただこうではありませんか。一刻も早く終息することを願って・・・。栄光在主 


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